大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和55年(ワ)10700号 判決 1984年6月26日

原告 三浦正男

右訴訟代理人弁護士 小原美直

被告 富士ベアリング製造株式会社

右代表者代表取締役 嵯峨根治作

<ほか一名>

右被告両名訴訟代理人弁護士 位野木益雄

同 安藤一郎

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告に対し、金一〇四七万一八八〇円及びこれに対する昭和五二年一一月一七日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  右1につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  交通事故の発生

(一) 日時 昭和五二年一一月一六日午後七時二〇分ごろ

(二) 場所 東京都大田区東糀谷一丁目一九番一二号先路上

(三) 加害車両 普通貨物自動車(品川四四む四一六二)

右運転者 被告松尾稔(以下「被告松尾」という。)

(四) 被害者 原告

(五) 態様 信号機により交通整理の行われている交差点(以下「本件交差点」という。)の横断歩道上を、原告が青色信号に従って横断中、同じく青色信号で交差点に進入し右折しようとした右加害車両が原告に衝突した。

2  責任原因

(一) 被告松尾は、横断歩道を歩行中の歩行者の安全を確認せずに、右折進行した過失があるから、民法七〇九条の規定に基づき、原告が被った後記損害を賠償する責任を負う。

(二) 被告富士ベアリング製造株式会社(以下「被告会社」という。)は、加害車両を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条の規定に基づき、原告が被った損害を賠償する責任を負う。

3  原告の受傷及び治療経過

原告は、右の交通事故により、頭頸部外傷、右側頭打撲、側頭骨キレツ、脳挫傷、第四、第五、第六頸椎間変性、第五、第六頸椎骨折、同部遅発性脱臼兼外傷性前脊髄動脈症候群、二次性腎孟腎炎、膀胱結石、後頭打撲及び右大腿打撲等の傷害を被り、昭和五二年一一月一七日から同月二六日まで市川第一病院で入院治療を受け、昭和五二年一二月一九日以降現在まで京浜病院で入院治療を継続中である。

4  損害(前記交通事故発生時から昭和五五年八月三一日までの分)

(一) 付添費用 金七一六万四〇九八円

原告は、昭和五三年二月二八日から同五五年八月三一日までの間、付添看護料として金七一六万四〇九八円を要した。

(二) 首補正装置及び両短下肢装置等費用      金三〇万二八〇〇円

原告は、昭和五二年一一月一七日から同五五年八月三一日までの間、右費用として金三〇万二八〇〇円を要した。

(三) テレビ借用及び購入費 金二五万二五〇〇円

原告の療養が長期になるため、療養の途中にテレビを購入した。

(四) 付添人布団代 金二七万四八〇〇円

原告は、前記付添看護のなされた期間(昭和五三年二月二八日から同五五年八月三一日までの合計九一六日間)、付添看護に伴い、付添人の布団代として一日金三〇〇円を要したので、その合計は金二七万四八〇〇円となる。

(五) 入院雑費 金六九万七九〇〇円

原告は、昭和五二年一一月一七日から同月二六日まで及び同年一二月一九日から昭和五五年八月三一日までの入院期間(合計九九七日)中、雑費として一日金七〇〇円を要したので、その合計は金六九万七九〇〇円となる。

(六) 休業損害 金五九〇万〇四七三円

原告は、前記交通事故当時訴外浅川製作所に勤務し給与等の支給を受けていたが、右事故により昭和五二年一一月一七日から同月三〇日まで及び同年一二月一九日から昭和五五年八月三一日までの間の少なくとも一〇〇〇日間就労が不能となり、次のとおり、合計金五九〇万〇四七三円の休業損害を被った。

(1) 給与 金四二五九・九五円(一日平均)の一〇〇〇日分金四二五万九九五〇円

(2) 賞与 金一三四万一〇〇〇円

(3) 昇給・残業分 金二九万九五二三円

(七) 慰藉料 金二五〇万円

原告の入院治療期間(入院約三七か月、通院約二〇日)に照らし、原告の精神的苦痛を慰藉するためには、金二五〇万円が相当である。

(八) 損害のてん補

原告の被った傷害に対する治療費は、全額自賠責保険及び労災保険から支払いずみであるほか、原告は、本件損害のてん補として、加害車両の加入する自賠責保険から金八一万六二四四円、原告の労災保険から金六七〇万四四四七円の各支払を受けたので、これを前記損害から控除すべきところ、被告らから弁済充当に関する意思表示がなかったので、原告は、まず原告の財産的損害に対する弁済に充当すべきものとして、原告において昭和五五年一〇月一六日被告会社に対し、同年同月一八日被告松尾に対し、それぞれ訴状の送達をもって右弁済充当の意思表示をした。

(九) 弁護士費用 金九〇万円

原告は、被告らが前記損害額の任意支払に応じないので、やむなく原告訴訟代理人に本訴の提起遂行を委任することを余儀なくされたのであり、その弁護士費用としては金九〇万円が相当である。

5  よって、原告は、被告らに対し、連帯して、右(一)ないし(七)及び(九)の損害額から(八)の既払額を控除した残額である金一〇四七万一八八〇円及びこれに対する前記交通事故発生の日の翌日である昭和五二年一一月一七日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1の事実中、(一)は否認する。原告主張の交通事故の発生日時は、昭和五二年一一月一七日午後七時二〇分ころである。同(二)ないし(四)は認める。同(五)は争う。右交通事故の態様は次のとおりである。

右の交通事故は、加害車両が青信号に従って本件交差点に進入し、右折しようとして右方向の横断歩道にさしかかったところ、原告が信号柱の蔭から出てきて加害車両前方の横断歩道から約一メートル離れた場所を左から右に斜めに横断しようとしたため、加害車両に接触して発生したものである。

2  同2の事実中、被告松尾に過失があること、加害車両が被告会社の所有であることは認める。

3(一)  同3の事実中、原告が前記交通事故により頭部外傷、右大腿打撲の傷害を被り、昭和五二年一一月一七日から同月二六日まで市川第一病院で入院治療を受けたことは認めるが、その余は不知。

(二) (因果関係について)

前記交通事故によって原告が被った傷害は、昭和五二年一二月一日の時点においては、既に治癒していたものというべきであり、その後の症状は、次に述べるとおり、右の交通事故との間の相当因果関係を欠いている。

すなわち、原告は、右事故後の当初に入院した市川第一病院において種々検査を受けた結果、右交通事故による傷害は、頭部打撲、右大腿打撲のみと診断されたのであって、その後は順調な経過をたどって昭和五二年一一月二六日に退院し、同年一二月一日には出勤を始め、同月一六日まで就労した。しかるに、原告は、示談の話がもちあがった矢先の同月一九日、突如右交通事故による脳内出血発現の有無を検査するためといって、前記京浜病院に入院したのであるが、検査の結果右症状の存在は否定され、原告自身も至極元気であったため、昭和五三年一月下旬には退院の予定となったところ、退院寸前の同月中旬、冬季にもかかわらず外泊したり、病院内を薄着で歩き回るなど、自己の不注意で右交通事故と全く関係のない肺炎ないし気管支炎に罹患して入院が長引いてしまった。この肺炎ないし気管支炎は、その後快方に向い遅くとも同年二月二〇日ころまでには退院の見込みとなったが、原告は、同月一六日夕方、ベッドの上から食卓を寄せようとして足をすべらせ、誤ってベッドから転落し、その衝撃により脊髄損傷を負ったのみか、右の事実を医師には告げず、翌一七日午前一時ごろ、小用に立った際、同病院便所内で転倒し、これにより右症状を悪化させ、その後は、構語障害、顔面神経麻痺、三叉神経麻痺、両下肢麻痺という以前とは全く質的に異なる症状を示すようになったのである。したがって、原告の現在の症状は、本件事故に基づく直接の身体の異常又はその治療行為が原因を成しているものではなく、原告自身の過失行為が重なり、これに起因して当初の症状と全く異なる背髄損傷の重大な傷害を新たに惹起させた結果によるものというべきである。

前記のとおり、原告について京浜病院への入院の必要性があったかどうかも疑問であるが、仮にその必要性があったとしても、原告が肺炎ないし気管支炎に罹らなければ、当然原告は、一月下旬ころまでに退院できたのであり、更にはベッドからの転落さえなければ二月二〇日ころまでには退院することができ、そのまま経過すれば、近く治癒が見込まれていたのであるから、ベッドから転落したことによる損害については、原告自身の責任に基づくものであって、前記交通事故との間に相当因果関係はないのである。

4  同4の事実中、(一)ないし(七)及び(九)は争う。(八)のうち治療費の一部が自賠責保険から支払われていることは認めるが、その余は不知。なお、原告の被った損害に対しては、後記のとおりの支払が既になされている。

三  抗弁

1  過失相殺

前記交通事故の発生については、原告にも、降雨のため傘をかぶるようにさし前方が見えない状態であったにもかかわらず、前方の安全を確認しないまま、信号柱の蔭から出て、横断歩道から約一メートル離れた場所を左から右に斜めに横断しようとした不注意があるから、損害賠償額を定めるに当っては、過失相殺がなされるべきである。

2  既払金

本件事故により、原告に支払われた労災保険金は、少なくとも金一八九八万六六七六円であり、被告会社が原告に支払った金額及び自賠責保険からの受領金額は別表のとおりである。

四  抗弁に対する認否及び因果関係に関する被告らの主張に対する反論

1  抗弁1の事実中、原告が横断歩道上を歩行していなかったとの点は否認する。仮に、原告が横断歩道をわずかにはずれて歩行していたとしても、社会通念上横断歩道上を歩行しているものとみられて然るべきであり、原告が加害車両の走行に注意して横断歩行すべき義務はない。

2  因果関係に関する被告らの主張について

原告は、市川第一病院を退院後も頭痛、頸部痛の自覚症状が残り、京浜病院の検査結果では主たる症状として第五、第六頸椎間の関節、周囲靱帯、椎間板等に損傷の跡が見られ、右頸椎間の変形及びこれによる圧迫の検査は原告がベッドから転落した昭和五三年二月一六日直前まで続けられ、検査上はこれが悪化していて治療はなお継続される予定で、原告が気管支炎に罹らなかった場合でも退院の予定はなかったのであり、右転落当時においても原告の症状はいまだ固定していなかったし、また右転落も、本件事故による頭頸部外傷に起因する見当識障害、神経不全麻痺及び投薬が遠因となっていることが十分考えられるもので、事故との因果関係は肯定さるべきである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1(事故の発生)の事実中、(二)ないし(四)の事実は、当事者間に争いがない。

《証拠省略》によれば、本件事故は、被告ら主張のとおり、昭和五二年一一月一七日午後七時二〇分ころ発生したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

事故態様につき検討するに、《証拠省略》によると、本件事故現場は、市街地にあり、北東から南西方向に通ずる車道巾員約六・五メートルの直線道路(以下「甲道路」という。)と、東南から北西に通ずる車道巾員約九・〇五メートルの直線道路(以下「乙道路」という。)とがほぼ直角に交わる(両道路とも、センターラインにより片側一車線に区分され、アスファルト舗装された平坦な道路となっている。)、信号機により交通整理の行われている交差点の北西側横断歩道直近であり、付近は街路灯の照明で夜間も明るく、右両道路における最高速度は時速三〇キロメートルに規制されていること、事故当時小雨が降っており路面は湿潤の状態であったこと、被告松尾は、加害車両を運転して右交差点を甲道路北東から乙道路北西に時速約二五キロメートルで右折するに際し、脇見をして前方注視を怠ったまま右折進行したため、原告が青色信号に従って、交差点北西側の横断歩道上を南西から北東に向け、傘をさして横断歩行中であったのに、その発見が遅れ、約八・七五メートルに接近して始めて同乗者の声で気付くに至り、あわてて急制動の措置をとったけれども間に合わず、右横断歩道から西側に約一メートル外れた乙道路中央付近において、自車前部右角を原告に衝突させ、同人を約一・八五メートル先に転倒させたうえ、自車は約五五センチメートル先に停車したこと、原告は、横断歩道を歩行中、右折してきた加害車両を認めたが同車が停止すると思い、そのまま横断を続けたところ、同車が停止せず進行してきたので危険を感じ、横断歩道左側外に逃げたものの、前記のとおり衝突したこと、以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

右認定の事実によれば、原告は、青色信号に従って横断歩道上を横断中に右の交通事故(以下「本件事故」という。)に遭ったものであり、本件事故の原因はもっぱら交差点を右折しようとした加害車両の前方不注視の過失にあったものというべきであるからいわゆる過失相殺をするのは相当でなく、他に原告につき過失相殺を行うのを相当とするような事情を窺知すべき資料は何もない。したがって、被告らの過失相殺の主張は採用しない。

二  同2(責任原因)(一)の事実は当事者間に争いがない。

同(二)の事実中、被告会社が加害車両の所有者であることは当事者間に争いがないから、他に特段の事情の認められない本件においては、被告会社は加害車両を自己の運行の用に供していたものとして自賠法三条の責任を負わなければならない。

三  同3(原告の受傷及び治療経過)の事実中、原告が本件事故により頭部外傷、右大腿打撲の傷害を被り、昭和五二年一一月一七日から同月二六日まで、市川第一病院で入院治療を受けたことは当事者間に争いがない。

そこで、以下、原告主張にかかるその余の傷害の有無及びその本件事故との相当因果関係について検討する。

1  《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(一)  原告は、大正九年六月二五日生れ(本件事故当時五七才)の男子で、本件事故当日直ちに前記市川第一病院で受診し、同日から入院のうえ治療を受け、その際頭頸部及び右大腿部のエックス線撮影を受けたが何ら異常所見は発見されず、脳内出血を疑わせる神経症状(頭部痛、吐気、嘔吐、四肢神経反射等)も認められなかったため、頭部外傷及び右大腿打撲と診断され、昭和五二年一一月二六日には経過良好で退院となり、以後経過観察に切り替えられ、容態が悪化するのであれば再来院するよう医師から指示された。

(二)  退院した原告は、同年一一月三〇日まで自宅で療養した後、同年一二月一日から勤務先である訴外株式会社浅川製作所に出勤を始めたが、同月一七日、右頸部痛、側頭部痛及び天候不順の折には頭がもうろうとし頭重感があることを訴え、京浜病院において診察を受けた。同病院では、超音波検査、眼底検査及び頭頸部エックス線撮影を実施した結果、脳室が僅かに右から左に移動していること、右眼網膜の浮腫腿色、乳頭境界不鮮明、側頭骨中央部の十字形キレツ様陰影の各異常所見がみられるとして、一応、右側慢性硬膜下血腫を疑い、同月一九日原告を入院させた。

(三)  その後の検査によれば、眼振検査上は中等度左向き自発眼振の異常が、脳波検査上はアルファー波が少なくベーター波が多い軽度の異常が、動脈撮影によると脳動脈硬化症と脳萎縮を伴う軽度の水頭症(第二脳室の軽度の拡大)が認められたほか、頸椎エックス線撮影によると第四第五頸椎間の左上関節突起の変形、及び右頸椎間及び第五第六頸椎間の後方角形成の異常所見がみられたものの、結局硬膜下血腫の存在を的確に裏付ける所見は得られなかった。原告は、右検査と併せて頸部の神経障害及び頭部外傷の治療を受けていたが、前記のとおり硬膜下血腫の疑いが否定され、また右症状も軽快するに及んで、入院を継続する必要性に乏しくなり、昭和五三年一月一日及び同月二日には外出を許され、同月七日には退院が予想されていたほか、同月一四日及び同月一五日には退院を目前にひかえて外泊も許されるに至った。

(四)  しかしながら、原告は、同月一九日ころ気管支炎に罹患し、頭痛、咽頭痛、発熱、全身倦怠感等の症状を訴えたため、退院の予定が遅れ、更に、右気管支炎が軽快し、退院が間近に迫った同年二月一六日の夕方、ベッドの上から食卓を寄せようとして足をすべらせ、誤ってベッドから約八〇センチメートル下のコンクリート製床上に仰向けに転落し、後頭部付近を打ちつけてしまった。

(五)  そして、同年二月一七日、原告に、軽度の構語障害、顔面神経・三叉神経・両下肢の麻痺が新たに発現し、脊髄第五第六頸髄中の前脊髄動脈に閉塞が起こったものと診断されたが、当初は原告が前記ベッドからの転落の事実を医師に秘していたため、病院では前記頸椎間の変性した個所に炎症が起こり、これが原因で右麻痺症状が発現したものと推測したところ、病理組織検査の結果、外傷による脊髄損傷であることが判明したため、最終的には右症状について、第五第六頸椎骨折、同部遅発性脱臼兼外傷性前脊髄動脈症候群と診断された。

(六)  原告は、引き続き同病院で入院治療を受けたが、昭和五五年二月一日における診断によれば、傷病名は請求原因3の原告主張のとおりであり、右第七胸骨髄神経及び左第一〇胸骨髄神経以下で運動麻痺及び知覚麻痺があるが、血管拡張剤等の投与と理学療法の施行により症状は改善しつつあり、歩行練習により補装具、支持具を用いて歩行可能な状態にまで回復している。

2  前記認定のとおり、原告の症状には、ベッドから転落後に急変して重篤な麻痺状態が発現しているところ、原告は、ベッドからの転落の原因は本件事故に起因する見当識障害、神経不全麻痺及び投薬による影響が遠因になっていると主張し、原告本人尋問の結果中には、原告は、真夜中の午前一時近く、ベッドに横臥していたものの、不眠に悩まされ続けていたため意識がもうろうとした状態で寝返りをうった際に誤って転落した旨の供述がある。しかしながら、右供述は、京浜病院のカルテ中に、午後四時ころ食卓をひき寄せようとして誤って足を滑らせたとの原告の報告があった旨の記載があり、京浜病院の診断書中に、二月一六日夕方ベッドより誤って転落した(この事は患者が一ケ月間秘密にして打ち明けず)旨の記載があることに照らしにわかに採用できない。また、《証拠省略》によれば、原告は不眠を訴えていたため、昭和五三年二月初旬から催眠薬ネルボンを服用していたことが認められる(右認定を左右するに足りる証拠はない。)が、右転落事故当時原告に見当識障害あるいは神経不全麻痺症状が存した事実を認めるに足りる証拠は何もなく、その他、本件事故による症状ないしその治療のための投薬の影響により原告が転落するに至ったことも、原告の全立証その他本件全証拠によるもこれを認めることができない。したがって、原告の右転落事故については、他に特段の事情の存在を認めることのできない本件においては、その責を被告らに帰することはできないものといわなければならない。

3  本件事故と椎間板変性(狭窄)及び脊髄損傷との因果関係

以上認定の事実によれば、原告の脊髄損傷の傷害は、直接的には、被告らにその責を帰することのできない、原告の前記ベッドからの転落事故による受傷に起因するものといわなければならない。

ところで、

(一)  《証拠省略》によれば、京浜病院医師熊谷頼明は、右脊髄損傷を発症した原因について、「原告は本件事故により第五、第六頸椎間板変性(狭窄)の傷害を被っていたところ、前記ベッドからの転落による衝撃で、右変性によって弱体化した個所に出血や椎間板及び周囲組織の断裂が生じ、その結果、第五、第六頸髄の近辺が前方から圧迫され、短時間に前脊髄動脈の血流阻止が起こったものである。」と診断しているので、この点について検討する。

(1) 頸椎間変性(狭窄)の原因

前記認定のとおり、原告の第五、第六頸椎椎間板については、本件事故後である昭和五二年一二月二七日及び昭和五三年二月六日に実施された頸椎エックス線撮影の結果を対比すると、一月余の経過でエックス線撮影により初めて発見可能な程度ではあるが狭窄が進行していることが認められ(右認定を左右するに足りる証拠はない。)るところ、証人菱木正次(医師)の証言中には、右椎間板の狭窄は経年性のものと思われる旨の供述部分があり、原告の事故当時の年令(五七才)を考慮すると、その可能性も全く否定し去ることはできない。しかし、同証人の証言中右供述部分以外の部分によれば、同証人にとって右の点は専門外の事柄であるほか、同証人は、右の狭窄の進行の点も含めて検討を行ったわけではなく、また同証人が右の判断に至ったのは、前記認定の市川第一病院での僅かな入院期間における僅かな資料とその間の臨床的な観察によるものであることが認められる反面、《証拠省略》によれば、京浜病院の医師熊谷頼明は、その原因について、椎間板の狭窄は加齢によっても発生進行するので、原告の年齢を考慮すると加齢によるものとみる余地がなくはないが、一般に加齢による椎間板の狭窄の場合は、右のように短期間に狭窄が進行することはないので、原告における右の椎間板の狭窄は、外傷すなわち本件事故に因るものと思われ、外傷後三か月程度の期間を経過してから椎間板の変性が発現することも通常の事態であると判断していることが認められる(右認定に反する証拠はない。)のであり、これに前記認定の本件事故の態様及び衝撃の程度も併せ考えると、右頸椎椎間板の狭窄については、原告の加齢による経年変化を無視できないものとしても、本件事故もまたその発生に寄与しているものと認めるのが相当であり、証人菱木正次の供述するように、原告の椎間板の狭窄が、経年性変化のみによるということはできない。

(2) 頸椎間変性の脊髄損傷に対する寄与の有無及びその程度

《証拠省略》及び証人熊谷頼明の証言によれば、同証人が椎間板変性も脊髄損傷発現の一因を成しているとの判断をした根拠として、右変性個所付近で脊髄損傷が起こっていることのほか①健全な椎体が挫滅したのであれば、挫滅時直後が症状は最も重大で、その後、時の経過に従って回復していく過程を辿るのであるが、本件においては、原告は右転落事故の数時間後に歩行して便所に赴いていること、②原告の現在の症状は前記のとおり支持具を用いて歩行可能な状態にまで回復しているが、挫滅した場合には到底早期に回復することはあり得ないことの二点を挙げていることが認められる。しかし、右①の点については、《証拠省略》中には、原告が医師に対しこれに沿う報告をした旨の供述ないし記載部分があるが、他方《証拠省略》には、原告が便所に赴こうとしたが両下肢が動かず歩行不能となり同室者が引っぱっていった旨の記載があるほか、原告は本人尋問で、転落事故後は全く歩行もできなかったと右記載と同旨の供述をしていることが認められ、前記供述ないし記載部分のみをもってしては原告が転落事故後もしばらくの間は歩行が可能であったことを認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠もない。のみならず、証人熊谷頼明の証言中には、健康な椎体を損傷した場合であっても損傷の形態によっては転落事故後暫く経ってから徐々に症状が悪化する経過をとることもありうる旨供述している部分もあり、結局右①の点は椎間板の変性が脊髄損傷発症に寄与したことの証左とすることはできないものであるが、右②の点、及び椎間板の変性した第五第六頸椎付近の脊髄が損傷している点を考えると、原告の椎間板は、加齢と本件事故による変性のため弱体化していたところ、右転落の衝撃がこれに加わって、脊髄損傷の発症に至った可能性が高いものといわなければならない。もっとも右のように、原告における椎間板の変性が脊髄損傷発症の一因を成しているとしても、証人熊谷頼明の証言によれば、同証人は、原告の椎間板変性の程度であれば、通常の生活は可能であり、感染により変性個所に炎症を起こすこともあり得るが極めて稀で、ベッドからの転落による衝撃の占める割合が椎間板の変性による弱体化の占める割合よりも大であるとしていることが認められ(右認定に反する証拠はない。)、前記認定のベッドの床面(コンクリート製)からの高さ(約八〇センチメートル)及び転落の態様に照らし、転落事故により原告は脊柱に直接相当強度の衝撃を受けたと推認されること、他方椎間板の変性は前記認定のとおり、エックス線撮影により初めて発見可能な程度のものにすぎないこと及び当裁判所に顕著な通常の鞭打症例の経過に鑑みると、原告の椎間板変性は、原告のベッドからの転落がなければ、右転落の時点のころより以前の時点において既に症状の固定をみるに至っていたものと推認され、右推認を左右すべき証拠もないから、前記脊髄損傷は、原告のベッドからの転落事故を主因として発症したものというべきである。なお、証人熊谷頼明の証言中には、例えばタクシー乗車中に頸を振っただけでも、椎間板の変性個所が悪くなることは起り得る旨の供述部分があるが、前記証拠に照らし直ちに採用し難く、他に右認定を妨げるに足りる証拠はない。

(二)  以上の事実を総合すると、原告は、その加齢に伴う経年変化とあわせて本件事故に遭ったことにより、椎間板の変性(狭窄)を被ったものであるところ、ベッドからの転落事故により右変性によって弱体化していた個所に直接強度の衝撃が加わり脊髄損傷の発現をみた可能性が高いものというべきであるが、《証拠省略》によれば、本来椎間板の変性それ自体は加齢によっても発現するものであって、前記認定程度の微少な変性であればこれを放置しておいても日常生活にさほど支障を及ぼすものでないことが認められる(右認定を左右すべき証拠はない。)から、医学上の見地からすれば、本件事故による椎間板の変性(狭窄)が、原告の右転落事故による脊髄損傷発現に多少寄与しているとはいえなくはないにせよ、その発現のための重大な原因をなしたものと認めることはとうていできず、むしろ本件においてはベッドからの転落事故こそがその主因となったものというほかはない。そして右転落事故は、通常起こりうる事態とはいえないものであるとともに、その転落も本件事故に起因する症状等が原因となったものではなく、前記認定のとおり、被告らの責に帰せられるべきものではないうえ、更に後記認定のとおり、右転落事故日現在における入院治療は、最早本件事故との相当因果関係を否定すべきものとするほかないことに照らすと、本件事故と脊髄損傷との間における医学的ないしは事実上の因果関係はともかく、規範的ないしは法律上のいわゆる相当因果関係は、これを否定するのが相当であるといわなければならない。

4  本件事故とその他の傷害ないし症病との因果関係

(一)  側頭骨キレツ及び右側頭打撲につき、前記認定のとおり、京浜病院での頭部エックス線撮影により原告の側頭骨中央部に十字形キレツ様陰影が認められたが、《証拠省略》によれば、右陰影は微妙でこれにより明白なキレツと断定できるものでないが、右側頭部に叩打痛もあったため、同病院では一応その疑いを抱いたに止まり、キレツの存在自体は重要でないため、更に当該個所を多角度から撮影してその有無を確認する措置を採っていないことが認められ(右認定を左右するに足りる証拠はない。)る。右認定の事実によれば、原告が右側頭打撲の傷害を被ったことは推認することができるが、いまだ側頭骨キレツの傷害を被ったことを認めるに足りず、他にこれを認定するに足りる証拠はない。

(二)  後頭部打撲は、前記認定の事実によれば、原告がベッドから転落した際被ったものと推認され、本件事故に起因するものであることを認めるに足りる証拠はない。

二次性腎孟腎炎及び膀胱結石、脳挫傷が京浜病院の診断で傷病に挙げられていることは前記認定のとおりであるが、右症状が本件事故に起因するものであることを認めるに足りる証拠はない。

5  そうすると、本件事故と相当因果関係に立つ原告の傷害は、頭頸部外傷(右側頭打撲を含む。)、第五、第六頸椎間変性(第四第五頸椎間の変性が本件事故によるものであることを認めるに足りる証拠はない。)及び右大腿部打撲に限られるものといわなければならない。

6  ところで、被告らは、原告の傷害は昭和五二年一一月下旬ころまでには治癒し、退院となっており、それ以後の京浜病院における入院治療は全く必要性を欠くとして本件事故との因果関係を争うので、次に右の点を検討する。

(一)  《証拠省略》には、市川第一病院医師菱木正次は、昭和五三年一月一八日検察官の電話による問合せに答えて、原告が昭和五二年一一月二六日同病院を退院した時点で、原告の症状は治癒したと判断した旨述べたとの記載があるが、《証拠省略》によれば、右記載にかかわらず、実際には、原告の症状が治癒したとは考えておらず、ただその治療経過が良好であったため経過観察に切り替えたもので、退院後再び症状が悪化することもあり得る旨判断したものであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  原告が京浜病院に入院するに至った経緯は前記認定のとおりであるが、原告に対する前記認定にかかる検査上の異常所見から、原告が脳内出血の存在を疑われて、この点につき更に精密検査をするため同病院に入院したことは、右異常所見の内容等に照らし必ずしも不合理と認めることはできず、また原告の神経症状も、前記事故の態様、衝撃の程度、他覚的所見(椎間板の変性)の存在及び本件事故後の時間的経過(約一か月後)からすると、一旦は軽快した右症状が再び悪化することも十分肯認できるのであるから、右入院時において原告の症状はいまだ治癒ないし固定していなかったものと認めるのが相当である。してみると、右検査と治療を兼ねた前記病院への入院も本件事故と相当因果関係に立つものというべきである。ただし、入院期間については、前記認定のとおり、遅くとも昭和五三年一月初旬には脳内出血の疑いも否定され、症状も軽快して、一月一四日及び一五日には退院を目前にして外泊を許可されていることに鑑みると、遅くともその数日後で気管支炎罹患のころである同月一九日の翌日すなわち昭和五三年一月二〇日までが本件事故と相当因果関係のある入院期間であったものとすべく、翌二一日以降の入院は原告の気管支炎罹患等本件事故に起因しない事情に基づくものといわなければならない。証人熊谷頼明の証言中には、原告には気管支炎罹患を除外しても同年二月中旬ないし下旬までの入院治療が必要であった旨の供述部分があるが、他方では同証人はこれを同年一月下旬ないし二月中旬であるとも供述し、また前記一月一四日及び一五日には退院が間近に迫っていることも認めているのであって、右前段の供述部分を採用して前記認定を左右することはできない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

四  損害について判断する。

1  付添費用及び付添人布団代

原告の主張によれば、右損害は、脊髄損傷による両下肢麻痺の状態に伴って必要となったものというのであるから、本件事故と相当因果関係に立つ損害であるとすることはできない。

2  首補正装置及び両短下肢装置等費用右費用を要したことを認めるに足りる証拠はない。

3  テレビ借用及び購入費

右費用を要したことを認めるに足りる証拠はない。

4  入院雑費 金三万〇一〇〇円

弁論の全趣旨によれば、原告は、前記本件事故と相当因果関係に立つ入院期間中(四三日間)、雑費として一日金七〇〇円を要したものと認められ(右認定に反する証拠はない。)るから、右雑費の合計は、金三万〇一〇〇円となる。

5  休業損害 金二〇万三八七三円

原告が本件事故当時訴外浅川製作所に勤務していたことは前記認定のとおりであり、前記認定の原告の症状、入院期間に鑑み、原告は、昭和五二年一一月一七日から同月三〇日までの間及び同年一二月一九日から昭和五三年一月二〇日までの間の四七日間、本件事故のため就業することができず、右浅川製作所から支給されるべき給与等の損害を被ったことが認められ(右認定に反する証拠はない。)、また、《証拠省略》によると、原告は一日当り少くとも金四二五九円の給与を得ていたこと、及び昭和五二年下期における賞与の減収は金三七〇〇円であることが認められ(右認定に反する証拠はない)るから、右により原告の休業損害を算定すると、次の計算式のとおり、金二〇万三八七三円となる。

計算式 4,259×47+3,700=203,873

原告主張のその余の損害は、前記のとおり本件事故と相当因果関係のないものである。

6  慰藉料 金一四〇万円

原告の傷害の部位・程度、入院治療期間その他諸般の事情を斟酌すると、原告が本件事故により被った精神的苦痛を慰藉するためには、金一四〇万円が相当である。

五  損害のてん補

(一)  《証拠省略》によれば、原告は、加害車両の加入する自賠責保険から損害賠償(傷害分)として金一〇〇万円のてん補を受けたことが認められ(右保険から金八一万六二四四円が支払われたことは当事者間に争いがない。)、右認定に反する証拠はない。

(二)  また、《証拠省略》によれば、被告会社は、治療費を除き(原告は治療費の請求をしていない。)、原告に対し、休業損害に対し合計金一九万六二四四円、入院雑費(診断書及明細書代金)に対し合計金二万四〇〇〇円及びその他合計金四五万円の総計金六七万〇二四四円の支払をしていることが認められる。右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)  ところで、前記四の4、5、6の損害額を合計すると金一六三万三九七三円となり、他方、右(一)、(二)によるてん補額を合計すると金一六七万〇二四四円となるから、原告の本件事故による損害については、その全額がてん補ずみであるというべきである。したがって、原告の本訴損害賠償の請求(弁護士費用を除く。)は理由がない。

六  なお、前記認定のとおり、原告の右損害は、昭和五三年一月二〇日までのものであり、これに対する右のてん補は、《証拠省略》によれば、本訴提起(昭和五五年一〇月四日)前の昭和五三年八月五日までになされたものであることが認められ、右認定に反する証拠はないから、原告の本訴弁護士費用の請求も理由がない。

七  以上によれば、本件事故による損害賠償として合計金一〇四七万一八八〇円及びこれに対する昭和五二年一一月一七日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求は理由がないからこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 仙田富士夫 裁判官 松本久 裁判官武田聿弘は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 仙田富士夫)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例